疲労と畳
お風呂上がりルイボスティーを補充しながら、姑がコンプじゃね?とか考えていた。
40代に入ってから子供2人を産み、子供とともに人生を燃やし誇る感じ?夫の実家に保管されていた母子手帳とか、保育園の連絡帳とか、トロフィーとか、写真とか、どんどこ渡されるものを目に通しては微笑ましく、どこかすごく悲しくなってしまった自分がいて、その日はひどく疲れた。
わかりやすさも何もないと、存在を認められないのだ。
あいまいな、20年近く2番線から電車に乗って2番線で帰る、をこなすことが人生の大半で、子供の頃の写真には笑う自分をみたことがない。なんでそんな無なのかわからんくらい、ぽかんとしている。明るい男の人が怖かった。悔しくなるとすぐ泣くし、おしゃべりは苦手だけど、セーラージュピターとダンスは大好きだった。うさぎちゃんは苦手だったけど、でもきっと素敵なお友達になれそうだった。勉強がするっとできたから幼児の頃からドリルを解いて、あとはみんなみんなお兄ちゃんのことだったから、飼ってる文鳥と遊んでた。悲しいとかはなかった。
たまに行く祖母の家が好きだった。わからないお国の言葉がたくさんで、悔しくて泣いて、人の話よく聞いたり規則性を見出そうとした。全然わかんなかった。喋ってることわかんないまま祖母2人は旅立った。
ピアスの穴6つがうまく固定できない。
カラコン大量に買って、久しぶりの脱毛の予約した。結婚してなにかから遠くなって身体がやっと私のものになる。